Spartan Diary

Michigan State Universityに留学している、学部2年生のゆるい日記です。

秋学期の振り返り!授業編!

今更ですが、秋学期の授業の振り返りをしていきたいと思います!アメリカに来て初めての授業、それどころか、英語で授業を受けるのも初めてだったので、とっても緊張していたことを今でも鮮明に覚えています!

秋学期に取っていた授業ですが、4つあります!

  1. International Economics EC340
  2. Government policy and expenditure EC335
  3. Ecological Economics EEM255
  4. Introduction to Urban Planning UP201

この4つの授業を取っていました!右側にある数字は、その授業の数字を表していて、主に200番台は1年生や2年生でも取れる難易度が低めの授業、300番台は、2年生や3年生が取る少し難しくなった授業です。それぞれの授業について振り返りをしていきたいと思います!

 

 

International Economics

1つ目のInternational Economicsですが、結果としては、成績4.0(最高評価)を取ることができました!この授業の進め方は、大教室で、教授がパワーポイントを使いながら解説をしていくといった形です。たまに、テスト対策として、問題を授業中に出してくることもありました。この授業の評価方法は、3回の試験のみです。1回目の中間は100点、2回目の中間も100点、3回目の期末は200点の合計400点満点で成績がつきます。400点満点の持ち点で、いわゆる正規分布表的なものにあてはめて、上位何%が4.0、その次の何%が3.5といった形の成績のつけ方でした。

授業の難易度的には、個人的には少し難しかったなという印象をもちました。やはり300番台の授業ということもあって、内容が難しいことももちろんですが、やはり、アメリカというところですでに外国なのに、アメリカを起点として、その外国とのやり取りを見ていかなければいけなかったので、それが留学生としては、厳しかったです。ただ、この授業で助かったことと言えば、授業中に出してくれる問題、やっておいてねとオンラインに掲載してくれる問題、そして過去の問題から全く同じ問題が実際の中間期末テストに何割か出てきたことです。こういった問題は対策しやすいので、ここで落とさないように気を付けました。

一回目の中間テストは100点満点中92点、2回目の中間テストは88点、最後の期末テストは180点と、平均すれば9割を超えることができました。試験の方法はマークシートで5択程度だったのですが、個人的にはまあまあうまくできたんじゃないかなって思っています。

この授業で面白かったのは、やはり日本という国から外国を見るのではなくて、アメリカを軸として、その海外をみるということでした。終始気になったのが、いろいろな国を例に挙げて話をするときに、アメリカを誇示するような話し方をしていたことです。もちろんそれが事実かもしれませんが、アメリカの国民性や、世界の中でアメリカは強大な力をもっているなという印象を改めて持ちました。

 

Government policy and expenditure EC335

この授業が個人的には結構きつかったです。そもそも、他の授業は経済に関する授業ということで、ある程度前提知識が通用したのですが、この政治の授業に関しては、知らないことが多かったので正直てこずりました。ただ、政府の支出という側面で、グラフを使った分析などがあり、そこは得意分野だったので助かりました。また、政治分析という日本の大学で触れた内容も少し出てきたので、そこも救いになりました。一番厄介だった点は、アメリカの政治なんかまったく知らないよってことです。具体的にあげるとすると、アメリカには、Medicare とMedicaidという政策があるのですが、最初聞いたときにはこの2つの区別がつかなくて同じもんだとずっと思っていました。また、アメリカは、日本と違って、Federal-state-local(例えばtownship)のように権力が分配されているので、それぞれの役割なども独特なものがあり、そこら辺を理解するのも苦しみました。

教授はとても朗らかな方で、個人的には、そこは面白かったのですが、やはり話す言葉が難しいので、黒板に書いてくれない内容は少し理解するのに苦しみました。分からないことは教授に聞きに行ったりしたのですが、そもそも聞いても分からないことが多かったです。英語力のせいで、、また、この授業には教科書が存在したのですが、その教科書の量が多すぎて、量的にもきついうえに、内容が難しくててこずりました。

この授業の評価方法としては、1回目の中間が25%、2回目の中間が25%、3回目の期末が40%、そして出席が10%でした。テストで点数をとることが期待できない自分としては、出席ではなんとか満点を取ろうと頑張りました。一回参加できない日があったのですが、そのほかは全部出席しました。ここで稼げたのが大きかったかなと思っています。次に、1回目の期末ですが、3.5の評価をもらいました。ここの範囲は、日本の大学でやったものと被っていたので、正直もっととれてよかったかなと思っています。ただし、次の中間で4.0を取れてしまったのです。正直分からない問題が多かったのですが、ここで4.0の評価を取れたので、期末も頑張ろうって思いました。期末の結果は帰ってきていませんが、最終的な評価は4.0を取ることができました!!

テスト形式としては、マークシートの問題が5割くらい出て、記述が5割くらいでした。マークシートの問題も、授業中の話からそのままだすということが全くなく、とっても難しかったです。どちらかというと苦手意識のあった記述の方が点数を取れた気がします。というのも採点が甘かったのもあり、ある程度の概略を書ければ満点をくれました。そんなこんなで、自分の苦手な政治分野でも最高評価を取れたのは、少し自信になった気がします!

この授業で面白かったのは、政府がどうしてそのような政策をしているのかということを、分析や理論を用いてかみ砕いてみれたことです。また、アメリカの政府がどのようにお金を支出して、そしてどこから収入を得ているのかということも理解することができたのも大きな収穫だったと思います!

 

外国で成人式を迎えることについて

タイトル通りですが、外国で成人式を迎えることについての率直な意見を書きたいと思います!

 

まず最初のぱっと思い浮かぶ感情は、「寂しい」です。成人式は、中学校卒業してからほとんど会わなかった友達に会う絶好のチャンスです。そこで久しぶりに再会して、昔のことを語り合ったり、今何をしているのかを語り合ったりするのが醍醐味だと思うんです。そんな機会を逃してしまっては、どうしてももったいないといった感情や、二度と会えないかもしれないといった寂しいという感情が生まれてきました。

またこれに追い打ちをかけるのが、みんなのSNSの投稿です。特にインスタなんかは、みんな成人式の様子を投稿していて、楽しそうにしている姿をみて、ああいいなあという風に感じました。

次に生まれてきた感情は、「ぱっとしない」といった感情です。ちょっと表現しづらいのですが、成人式は20歳という節目の年を祝う重要な式だと思っています。そのいわば大人になる第一歩(自分はどこから大人って区別するのはあんまり好きではないですが、世間一般という体で)である成人式をのがしてしまっては、いまいち20代の始まりにしまりがないかなっといった印象をもちました。というか現に今そう言った感情です。成人式に出席した方々がそれを感じたかどうかは別ですが、少なくとも出なかった人よりは実感しているんじゃないかなって思います。

じゃあなんで帰国しなかったんだとなるわけですが、主に2つありました。1つはお金の問題。2つ目は授業的な問題。1つ目の問題は結構明らかで、アメリカから日本に往復しようとすると安くても12万、高いと20万くらいかかります。正直成人式というイベントも捨てがたいですが、この値段を考えたときに、そこまでして出るものなのかと思ってしまう自分がいました。2つめとしては、アメリカでは1月の6日あたりから授業が始まっていて、この時はすでに授業が始まっていました。自分の地区は日本時間で日曜日に成人式があったので(アメリカ時間の日曜日の朝)、そこに出席していては、授業に間に合わないことが確定していました。この2つの理由が決定的となり、参加しませんでした!

しかし、結果的には、友人が電話でつないでくれて少しでしたが、みんなとお話したり、あっていなかった人から、今度会おうねと連絡が来たり、自分のクラスが今度同窓会を開こうという運びになっているというお話を聞いて、遠くにいても、成人式の波は感じることができました!なので、結果としては満足しています。本当はもっと電話でしゃべりたかったのですが、なぜか、その日に限って、人生初マラソンをしていましたので、電話に出ることができず、、

なんだかんだあり、成人式シーズンは過ぎ去ってしまったわけですが、20歳という節目の年をより良い1年にしたいなって改めて思わされた行事でした!

国籍について

今回は、国籍について、少し書きたいと思います。

アメリカに来ると、アメリカ人が大多数を占めているので、日本人はマイノリティになります。そのことが割とたまにネックに働くことがあるんです。また、アメリカは人種のるつぼと呼ばれることがあるほど、他にも多様な国籍の方々が、ミシガン州立大学に学びに来ています。多くのアメリカ人と、アジア圏を始め、ヨーロッパ、アフリカなどから沢山の留学生が集まってきています。個人的には、多数の国々の方々と会うことが好きなので、もってこいの環境だと思っています。

ただ、これだけ多くの国籍の方が集まっていると、少し問題が発生することがあります。それは主に自分の国籍についてなのですが、ミシガン州立大学にはたくさんの中国人、韓国人の方々も留学しに来ています。日本人はどちらかというと、これらの国々に比べたら10人くらいと思われるので、結構少人数です。

つまり、こういった環境下で、自分を含め、日本人の方々が他のアジア圏と間違われることが多くあるのです。秋学期起きたことでいうと、ストレートに中国人?と聞いてくることや、黙って中国語で話しかけられたこともありました。今日の授業でも、Can you speak Chinese?と中国の方に話しかけられたりしました。

このことについて、みなさんはどうおもいますか?自分は留学し始めたころ、なにか日本という国に誇りというかそういったものを心のどこかで抱いていたみたいで、中国人や韓国人と間違われることに少し抵抗がありました。今考えれば、この考え方は少し良くないなと思うのですが、最初のころは、全然違う国なのになんでわかってくれないんだろうと思っていました。感情としては、寂しい、悲しい、怒りこの辺になります。

でも、今日、Can you speak Chinese?と聞かれたときに、とくにこういった感情はなく、ただ質問に返答しただけでした。なんで、何の感情も生まれなくなってのかなって考えたときに、留学して、たくさんの国籍の方々とふれあっていく中で、自分が日本人であるというプライドが少なくなったのかなって思います。もちろん、一発で日本人?って質問されたらそれは結構嬉しいですが、、留学して、自分の世界や国境に対する考え方が変わったと確信しました。今までは、日本人であるということを意識していたばかりに、日本と他国という構図ができていたんだと思います。しかし、留学して、世界の中の日本という軸になった気がして、世界という地球全体で日本がどう回っていくべきかという風にとらえることができるようになったと思います。個人的には、将来世界でなにかしら仕事をしたいと考えている身としては、プラスな成長になったかなって思います!

 

LGBTについて

この前メキシコ旅行にいったときに、一番強く感じたのが、LGBTに対する考え方でした。まだ、自分は台湾とベトナムアメリカそしてメキシコしか海外に行ったことがないので、具体的にはあまりわかっていないのですが、少なくとも、自分が訪れたことのある国や地域中では一番寛容だったなと感じました。

というのも、自分が、ロープ―ウェイの列に並んでいた時に、同性愛者の方が列に並んでいて、人目をはばからずに普通のカップルと同じいようにいちゃいちゃしていましたが、周りの方はとくに何とも思うことなく平然と見ている感じでした。

日本だと、最近では嬉しいことに、LGBTに対する考え方も変わってきて、制度なども整いつつあると思いますが、制度だけを取ってみても、まだ初歩的段階だと思います。さらに加えて言うのならば、制度や取り決めができたところで、人々のLGBTに対する考え方が変わらなければ、最終的には、こういった人たちの居心地は改善されないんじゃないかなって思っています。

日本は外国から見ても、相当魅力的な国の1つであり、日本の技術や文化を体験したいという海外の方々もたくさんいると思います。そういった方たちに、居心地よく日本で旅行や生活をしてもらうためには、LGBTの問題を始めとする、世界では当たり前のことが、日本では少し特殊と考えられている物事に対して取り組んでいかなければならないのかなと思います。

せっかく日本に来ても、LGBTが受け入れられなかったからという理由で、日本の旅行がつまらなかったり、潜在的雇用者を見捨ててしまってはもったいないような気がします。もちろん、どれだけそれによって損失があるかはわかりませんが、多様性を認める文化というのが必要になってくると思います。

ただ、自分もこうやって文章に起こすときに、どうしても少し遠慮しながら書いてしまうのが本音です。本当はこれではだめだと思います。というのも遠慮して書いているということは、その方々に対して、フェアな目線で観れていないことの証拠なのかなと心のなかで思ってしまっているからです。

自分は、日本にいるときから、LGBTの考え方には疑問を持っていて、海外に渡って、なおさら、日本のLGBTに対する考え方に疑念を持つようになりました。そんな自分でもまだフェアでない接し方になってしまっているのが、すこし気に食わないところではあります。

いずれにせよ、2020年の東京オリンピックに向けて、そういった方々たちにも居心地の良い環境を作ることが大切だと思いますが、現実的には根本から改善しないといけないと思うので、少し厳しいかなとも感じています。

突然の避難訓練再び!

今日は、初めての授業がたくさんありました。火曜日と木曜日は、一日に4つの授業があるので、少しヘビーな日になります。冬休みボケも相まって、へとへとになって帰宅した後、少し運動して、ふーと一息ついていたら突如

りりりりりりりりり!

という音が、寮に鳴り響きました。

 

これは何かというと、寮内にある非常ボタン的なのが作動した合図です。僕は、慌ててルームメイトと外に出ました。お風呂上がりだったので、格好も適当で、すごく寒い中外に避難してきました。雪もパラパラふっていたので、なおさら寒かったです。

しかし、これは実際の火災のアラームではなく、避難用のアラームでした。実は、秋学期にも2回このような避難訓練が行われました。一番最初の時は本当にびっくりしました。なんせ、言語も分からないところで本当に火災が起きたらただじゃすまないなという危機感を感じていたからです。しかし、今回実は3回目だったので、ある程度落ち着いて行動できました。逆になれてしまって、本当に起きたときに避難しなくなりそうなのが心配ですが。

何故この避難訓練が行われたことを伝えたかったかというと、「日本と違うなと感じた」からです。日本の学校では、あらかじめ、この時間に避難訓練が行われますよと前もって知らされたうえで、これは避難訓練です!という校内放送も流れていたかと思います。少なくとも、自分の小中学校はそうでした。大学に入って、寮生活をしていたのですが、その時も、この日には避難訓練をやるから、必ず参加してねという風に事前に周知されていました。

しかし、ここアメリカだと、事前の告知なくお構いなしにやってきます。今まで3回避難訓練が行われましたが、全部、夜の22時付近でした。事前に知らされていないので、その時に寮にいない人はラッキー!回避することができます。さらに恐ろしいのが、「訓練」という音声なしに最後までやり通すので、この火事は本当だったのか、訓練だったのかというのがすぐには分からないことです。せめても訓練という放送をいれてくれればいいのになあとおもいつつ、でも放送設備ないからできないなというところに帰結しました。

新しいルームメイトによると、高校でも授業中にランダムに行われ、外に避難することが年に2回くらいあったみたいです。特にテスト前に避難訓練をされたときは、覚えたいのになんでだよ!といった感じで、ちょっと不機嫌になってたらしいです。

日本でも最近避難訓練がランダムに行われたりすることが出てきていると思いますが、避難訓練という些細なことを切り取っても、これだけ、国をまたげば違うんだなということを再認識させられました。

春学期スタート!

今日1月7日から春学期がスタートしました!冬休みはほとんどゴロゴロしていたのでまだ気持ちが切り替わらないというのが本音なところです!

 

春学期は1月から始まって5月の上旬に終わります!これが日本の大学との大きな違いだと思っています。5月に終わって、3年の秋学期が始まるのが10月手前だと思うので、それまでかなりの休みがあります!何しようか模索中です。

 

さて、今学期は15単位取ろうと考えています!春学期は12単位履修していて、一応英語わからないなりにも単位が取れたので、今回は増やそうかなという魂胆です。

 

今回取ろうとしている授業は、

Intermediate Macroeconomics

Financial markets 

Economics in developing countries 

Social issues 

Economic geography 

の5つです。

上の3つはバリバリ、経済の少しコアな科目になっていて、ある程度頑張らないと置いていかれそうなきがしています。下のふたつは経済とは少し離れていて、入門コースなので、知識の幅を広げるためにも、いい感じで学べたらなと思って取りました。

中級マクロは、自分の大学に帰った際にも、必修科目で取らなければならないので、どうせなら留学中にとるのもありかなと思って、難しい覚悟で取りました。次のfinancialの授業も自分の興味からは少し遠いのですが、経済をやるにあたって、金融の知識は必要かなと思い、ここは少し頑張りどころな気がします。しかも、金融の仕組みは日本と少し違うと思っているので、なおさら自分にとっては難しいのかなと感じています。次の発展途上国の経済学は、これはどうしても取りたかった授業です。留学前から発展途上国に関わることに興味を持ち始めて、日本ではあまりそういう分野がないので、留学中に取れたらいいなと強く思っていました。次の社会問題についての授業ですが、これも、発展途上国の授業と同様に、視野が広がったことにより、こういった問題の解決に携わりたいなと思うようになり、入門のコースですが、取りました。最後のですが、留学する前に取っていた人文地理がという授業が個人的にはとても面白かったので、それに似たものがあるのではないかなって思って取りました。おそらく立地と経済活動などやるんではないかなと思っています。

 

ざっくり紹介しましたが、またそれぞれの授業がユニークだったり、きつかったりしたら報告したいなと考えています!

留学して1番身にしみて感じていること

留学した後に1番身にしみて感じていることが、

自分って日本のことを全く知らないな

ということです。

 

日本以外からきた留学生や、アメリカの学生に、日本のことについて聞かれたときに、ちゃんと答えられないということが、多くあったように痛感しています。

なんでちゃんと答えられないのかなって考えたときに、主に2つくらいあるのかなと感じています。1つ目は、外国人にとっては不思議に思うようなことでも、日本人にとってはそれが当たり前なため、深く考えたことがないから答えられない。2つ目はただ単に知識不足なために答えられないということ。

例えば、アメリカの冬休みは、クリスマスや新年を大々的に祝うためにあると感じています。一方で、「日本の冬休みは何を祝うんだい?」と友人に聞かれたときに、さっと答えられなかったということがありました。日本人は何を祝うんだい?と聞かれたときに、日本のクリスマスの実態はどうなんだろう、なんで日本ではクリスマスがああいう風になっているのだろう、と正直考えたことがありませんでした。他にも、日本人は正月に、おせち料理を食べたり、お参りに行ったり、福袋を買いに行ったりすると思います。これも実際はなんでなんだろう。日本人としてこれらの風習を当たり前に感じてきてしまっていたため、なんでこの行事があるんだろうということをしっかり考えたことが無かったのです。これが1つ目の「日本人にとっては当たり前だった」ということにつながると思います。また、この問題はただ単に「知識不足」と言い換えることができるような気がします。

他にも、日本には皇帝がいるのかい?という質問に対しては、日本には皇帝ではなく天皇という国民の象徴的存在がいるんだよと答えることができましたが、なんで天皇を謁見することができるんだい?(その友人の国の皇帝はほとんど謁見することができない)、どうして、こういう天皇という立場ができたの?と聞かれたときには、これはうーんと考え込んでしまいました。これも、普段から、日本には天皇がいて当たり前と感じていますが、外国人にとっては、それは少し変わった制度なのかもしれません。そして、ただ単に、日本の象徴である天皇に対して知識がないことでもあります。

こういった質問に答えられないとどうしてももどかしい気持ちになります。というのも、自分が生まれ育った国の歴史や文化などをなんで知らないんだろうという自分に対するもどかしさを痛感します。ましてや、正月や天皇制などは、日本の独特な文化や制度の典型的な例であるのにもかかわらず答えることができないというのは、日本の国民としていかがなものかなとも感じてしまいます。また、日本では日本人は多数派ですが、ここアメリカでは、日本人はもちろん少数派です。今のところ、この大学には5万人くらいの生徒がいますが、そのうち日本国籍を持っている人は50人も行かないんじゃないかなって思っています。このことが何を意味するかというと、この少数派の日本国籍の人たちの言動によって、他の国々の人たちは、日本をああ、こういう国なんだねと感じることです。少数派だからこそ、ひとりひとりの言動は重みを増してくるし、それがその国の印象を決めかねないということです。だからこそ、自分が知らないという発言をしたときに、この人は自分の国のことを何も分かっていないなという風に感じ取られると同時に、日本人が日本に対する理解が少ないんじゃないかということを連想しかねないかなと感じています。

最後に、良く他の文化を理解するためには、自分の文化を理解しなければならないというニュアンスの言葉を聞くことが多くあると思います。今まさに、それを痛感しています。へえ、アメリカではクリスマスはこういう習慣なんだ、あれでも日本とはどういう違いがあるんだろうと曖昧な理解で終わってしまいます。でも、この留学という機会で、日本のこういったイベントや風習はどういう目的で行われるのだろうということを考えさせてくれるいいきっかけになっているように感じます。

 

アメリカに留学に来て、日本のことを知らなすぎるなと痛感しています。日本では当たり前だから考えたことがない、知識不足ということが原因だと考えています。その弊害として、少数派であるがゆえに、ひとりひとりの言動が、その国の印象を決めかねない、そして、他国との文化の違いを正確に実感することができないということが挙げられると思います。